ウィンブルドン決勝にマヌエル・サンタナが観戦に来ていました。
サンタナは元スペインの名選手で1966年のウィンブルドンチャンピオンです。
もしもナダルが優勝していればサンタナ以来のスペイン人優勝だった
ということで応援に来てたようです。
サンタナは他にも1960年代に全仏2つと全米1つ、合わせて4つのグランドスラムを取りました。
ウィンブルドンに勝った1966年にはアマチュアランキングNo.1にも輝いています。
1960年代はロッド・レーバー、ロイ・エマーソン、フレッド・ストールなど
オーストラリア選手たちが猛威を振るった時代でしたが、
その頃にグランドスラムを4つも取ったサンタナは
スペイン史上最高の選手とされるのも納得がいきます。
しかしサンタナを語る際、
もう一人のスペイン選手に触れないわけにはいきません。
影のスペイン最強選手ともいうべきアンドレス・ヒメノです。
一般にヒメノと言えば1972年の全仏優勝者。ただそれだけの称号があるのみです。
しかし実際には影の実力者、そう呼ぶにふさわしい選手なのです。

サンタナは1938年生まれ。レーバーと同じ年ですがプロ入りはせずグランドスラムで活躍しました。
一方ヒメノは1937年生まれ。アマでの活躍はなく1960年代にプロで活躍しました。
サンタナはグランドスラムを4つ獲得しましたが
ヒメノはプロ大会で4度の準優勝はあるものの優勝はしませんでした。
これはたしかに大きな違いです。しかも現在ではグランドスラムの名声がはるかに高いので、
「サンタナ>ヒメノ」という評価はほぼ決定事項のようになっています。
ただし、当時の「プロ>アマ」の関係を念頭に置かないわけにはいきません。
1968年にオープン化された際、上位の顔ぶれは
プロはレーバー、ローズウォール、ヒメノ
アマはニューカム、エマーソン、サンタナというものでした。
最初のグランドスラムである1968年全仏では、
プロの3人が上位3シードを獲得したことは注目すべき事柄です。
しかも3人ともベスト4に残りました(4人目は、これまたプロのパンチョ・ゴンザレス)
厳密に言えば、ニューカムとサンタナは出場しなかったので
完全にヒメノが上だったと言い切ることはできませんが
「プロ>アマ」の評価は間違いないところと言っていいのではないでしょうか。
プロで第3位であったヒメノが
どのアマ選手にも負けない選手であったことは想像に難くありません。
オープン化後、上記6人のうち、ひときわ若いニューカムは次世代の王者になりましたが、
残るアマの2人、エマーソンとサンタナはほとんど活躍しませんでした。
一方プロ選手は、レーバー、ローズウォールはもちろんのことですが、
ヒメノも1972年の全仏で優勝しました。全仏最高齢記録での優勝です。
また1969年の全豪でもローズウォールを下して決勝に進出するなど
しっかりと活躍をみせています。
一般的にはグランドスラム4つのサンタナと1つのヒメノとなるのですが、
オープン化前後やプロとアマの関係などを考えれば
そのままの評価を下すことは正しくないように思えます。
また、テニス界には殿堂というものがあります。
http://www.tennisfame.org/活躍した選手はほとんど殿堂入りしており、サンタナも殿堂入りしているのですが
残念ながらヒメノは漏れてしまっています。
※http://www.tennisfame.com/enshrinees_atoz.html(メンバー一覧)※2009年、ついにヒメノがテニス殿堂入りを果たしました。うれしいニュースです。※毎度テニス史の話になると長くなってすいません。
わかりにくいところもあるかと思いますが
オープン化以前のプロとアマの関係については
http://www.jouhoumou.net/~au-saga/lendl/column5_history.html 等をご覧下さい。
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テーマ:テニス - ジャンル:スポーツ
- 2006/07/15(土) 10:00:15|
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